久しぶりのブログ更新です。〜瀬戸内つうしん〜

最近は、フェイスブックが中心でしたが、まとまった考えを残しておくには、やはりブログが適しているな〜と思いたち、昨年参加した日本図書館研究会の図書館学セミナーでの報告を掲載いたします。どうぞご一読
下さいませ。

 2013年度図書館学セミナー  日本図書館研究会

現代における公共図書館の運営:中小レポートから50年

 http://www.nal-lib.jp/events/seminar/2013/invit.html

発表3.「これからの50年を見据えた図書館づくり〜21世紀の中小レポートの実現に向けて」  嶋田 学(瀬戸内市立図書館準備室)

はじめに
 奇しくも、私は『中小レポート』と同い年である。図書館という社会装置のあるべき姿をなんとか描き出そうと尽力した館界の諸先輩と、これを思想と実践の書として公共図書館を引き上げてきた多くの図書館員の積み重ねが、50年という時間を経たことは感慨深い。
過去の50年を振り返るという行為は、反射的に考えればこれからの50年をどう図書館が歩むべきかという問いに行き着く。これまでの50年において、図書館はどう個人や社会とかかわり、またどのような影響を個人や社会にもたらしてきたであろうか。
 こうした観点からの検証が、これからの図書館のあり方について少なくないヒントをもたらしてくれるだろう。私のこのたびの報告では、「中小レポート」とその後の「市民の図書館」における図書館運営の中で、課題と感じたことを整理し、これからの50年に向けた展望のために、「21世紀の中小レポート」の必要性とその概要をまとめたい。

1.「中小レポート」の指摘は積み残されている
 『中小レポート』や『市民の図書館』を指して、「歴史的な文脈でしか語ることはない」という研究者もいるが、これはまさに現場を知らない机上の認識である。確かに、『中小レポート』の中に現在の状況ではそぐわない内容や、そこではまったく言及されていない図書館奉仕が現在展開されていることは事実であり、その意味においては「歴史的文献」と言える。
しかし、過去の学びが積み重ねられた現在の図書館に、『中小レポート』から見て不十分と言わざるを得ない実態があることも事実である。
1−1 地域・自治体と図書館のあり方
 例えば、「図書館奉仕」の中に「地域社会の基礎構造調査」(p71)という項目がある。そこには、産業種別の事業者数や従業員数、年齢や産業種別の人口統計、行政における財政や教育費の割合などを把握した上で「奉仕計画」を策定する必要性を説いている。
 これまで私は、日本図書館協会の「中堅職員ステップアップ研修1」の『図書館のサービス計画』の講師を2回させて頂いた。事前課題には、受講者が所属する自治体(事業者)の行財政情報や図書館統計等を整理してもらっている。受講者のアンケートには、財政状況の把握や図書館費の対一般会計比など、統計の整理や他の受講者の自治体との比較において、自身の図書館行政の相対理解が進んだという声を毎回読むことになった。こうしたことから、図書館が由って立つ背景である自治体や地域社会について、図書館員は実のところあまり関心を払っていないことが分かる。
また、以前勤務していた東近江市である図書館に異動になった際に、私は「分類別貸出統計」(3桁)を調査してある仮説をもった。工業系の資料が高い貸出回転率であるにも関わらず、資料が少ないこと、しかもその資料の出版年が古いこと、さらには当該地域の「産業種別人口統計」を調べてみると、製造業従事者が多いことから、当該分野の資料ニーズは潜在的に大きいというものである。
これらの数値を職員に見せ、当該分野の資料を重点選書し、表紙見せ展示等も積極的に行なった結果、半年間で11%貸出利用が増えた。
まちの中心部は田園地帯で、JRの新快速が停車することから大阪や京都のベットタウンとして住宅が増加していたからであろう。「こんなニーズがあるとは思わなかった」と開館当初からのスタッフが驚いていた。
図書館が由って立つ「土地の事情」を知ることは、「図書館法」の理念からも重要である。そうした現在の図書館の状況を踏まえて、社会の変化に対応する新たな図書館サービスのあり方を検討し実践しなければ、新規サービスは歪なものになりかねない。

1−2 依然軽視し続けられる全域サービス
『中小レポート』の「図書館奉仕」の項目は、「奉仕計画」に次いで「館外奉仕」が上げられている。これは、『中小レポート』が、出来もしない理想を掲げるのではなく、とりあえず当面利用される図書館になるために最低限取り組むべき事をまとめた結果であろう。しかし、現在においても、図書館のない地域に図書館サービスを行きわたらせるには、移動図書館の巡回サービスがもっとも優先順位が高くそして効果的であると言えるだろう。
現在私は、岡山県瀬戸内市の新図書館開設にかかわっている。公民館図書室程度の図書館しかない当市で、「基本構想」づくりと並行して実施したのが、保育園と幼稚園への移動図書館サービスである。専用車両でなく公用車の軽バンに500冊の絵本を積んで、おはなし会と貸出を行った。この実践は地域の中でも話題になり新聞やテレビの取材も頂き、図書館サービスの可視化に大きな貢献をした。
「供給のないところに、需要は生まれない」とは、イギリスの高名な図書館長マッコルビンの言葉だが、図書館というものが何をもたらしてくれるのかを伝えるには、移動図書館は極めて重要である。
地域のどこに住んでいても図書館サービスを届けようとする「全域サービス」は、生涯学習理念である「いつでも・どこでも・だれでも」というテーゼに応えるものである。
また、財源や現状の施設が不十分な中では、地域の隅々に確かに資料を届ける「全域サービス」をまず優先することで、住民の理解を広く取り付けることにもつながるだろう。
平成の大合併」により、数字の上で図書館未設置自治体が減ったり、自治体内の図書館数が増加したとして、移動図書館を廃止するという動きがあった。
しかし、奉仕対象人口が急減した訳でもないのにサービス資源を減らすことに合理的な理由は見つからない。むしろ、市域が拡がってサービス空白地帯がより顕在化したことにより、これまで運用していなかった移動図書館サービスを開始する、というようなことが起こることが自然ではないか。
 これまた滋賀県の事例で恐縮だが、広い市域であるにもかかわらず、移動図書館サービスを実施していない自治体がいくつかある。専用の車両がなくても移動図書館サービスは始められる。図書館に注目を集めるために、新たなサービスを立ち上げるのも結構だが、やはり本来的にやるべきことを飛ばしていては、足元を掬われるのではないかと危惧する。
 以上、2つの事例だが、『中小レポート』が重視する図書館奉仕のための取り組みは、現在においても積み残されたままである。

2.自治体における図書館行政の立ち位置
『中小レポート』は、図書館実践の理念や方法論について、一定の役割を果たし、その中のいくつかは現在においても十分に実践をされておらず、未だ課題であり続けていることは既に指摘した。
その観点の中には、図書館が地域社会との関係においてどのように存在すべきか、という論点も見逃せない。
実は『中小レポート』は、「図書館奉仕」の冒頭で、「社会教育法」第3条の「(前略)すべての国民があらゆる機会、あらゆる場所を利用して、自ら実際生活に即する文化的教養を高めうるような環境を醸成するよう努めなければならない」という条文を根拠に次のように図書館の可能性に言及している。
つまり、図書館が住民の自学自習の施設として、平和で民主的な地域社会をつくるために貢献すれば、着実に図書館の自治体における地位は高まり、住民が図書館を支持するようになるだろう、と。(p66) 
この条文から「地域社会」への貢献を引き出すのは、いささか恣意的でさえある。これは、「地方自治法」における住民自治の理念の実現に、図書館が何らかの貢献をすべきであることを示唆している。
私はそこには、『中小レポート』編纂者の行政施策における図書館の立ち位置に関する明確な意思を感じるのである。蛇足までに申し上げれば、「社会教育法」の第5条(市町村の教育委員会の事務) 19項目に渡って市町村教育委員会のなすべき事務が掲げられているが、地域の自治やそのための学習という観点の項目はない。
しかし残念ながら、図書館が住民にとって身近なものになっていない段階では、「住民自治」のために住民1人ひとりにどのような学びが必要で、またそうした意識を持つ人々の集団的な学びのために図書館が何をすべきかといった検討は、『中小レポート』の守備範囲とはなり得なかった。この課題は、『中小レポート』が目指す図書館活動が展開された後の「次の一手」として、後進の道標となるべき指摘であったが、果たしてその継承はなされたであろうか。
2000年代に入り、「地方分権」が注目されると、自治体独自の「まちづくり」という観点に関心が高まるようになった。「まちづくりは人づくりから」というスローガンもあるように、自治体において地域住民が主体的に学び、自治の担い手として自らを高めるという住民観がより注目を集めるようになった。
こうした状況の中、実際に、生涯学習部門を首長部局に移管しようという動きが出てきた。知識や教養を得て、家庭生活や職業人としての力量を高めるという社会教育のカテゴリーを超えて、自治を支える住民の育成という社会的な要請がそこには見える。
 教育委員会事務局で所管されている事務を、首長部局に移管する是非をここで問うつもりはない。私が指摘したいことは、図書館という教育機関が、狭義の社会教育を超えて、地方自治体の政策に影響を及ぼす可能性をもって捉えられたことである。
 自治体という地方政府の要請に、教育機関である図書館が応答することについて、かつての大政翼賛への逆戻りだと指摘する批判も聞かれた。
 しかし、「住民自治」は、民主主義的な地域社会の構築を旨として、「地方自治法」に明記されている。教育の独立性と政治的中立性という理念を侵食することなく、自ら生きる地域社会を自ら治めるために社会的存在としての個人の学びを支えることは、図書館として可能であろう。
 しかし、21世紀に入ってからも、社会に役立つ図書館という実践は、一部の活発な図書館を除いて、わが国の公共図書館全体に広がることはなかった。図書館の使命として館界に流布していた言説は「資料提供の重視」である。資料提供の重要性を否定するつもりはない。しかし、「資料提供」は、何を目的として推進されるべきものなのかが、現場で豊かに議論されることはなかった。いやむしろ、図書館の使命は「資料提供」にあるのであって、その目的を問うことには禁欲的でなくてはならないとする議論が支配的ではなかったか。
 こうした図書館実践が時代即応性を欠いたことから、自治体行政における図書館は、「教育・文化」施策として、財政削減の切りやすいコマとしての位置を余儀なくされた。「教育・文化」施策が一義的に重要であるべきことは論を待たない。しかし、実際には数ある政策の中で、優先順位を付けることはやむを得ない。図書館という政策が、より広範な機能を有すれば、政策的優位性を確保出来ることは指摘しておきたい。
ところが不思議なことに、リーマンショック後においても、公共図書館の数は増え続け、貸出冊数も平成24年度に下げ止まるまでは上昇し続けた。住民に一定の満足感を提供でき、教育文化行政の旗印として図書館は分かりやすい。職員の非正規化や市場化といった、公共経営に共通する環境変化に揉まれながらも、図書館は他の社会教育施設とは異なる発展を遂げてきた。
 さて、これからの50年を俯瞰するとき、こうした社会情勢をどのように受け止め、図書館のあり方を探るべきだろうか。

3.『日本の図書館〜統計と名簿〜』に望むこと
 『中小レポート』の「奉仕計画」には、図書館統計の意義として次の4点を挙げている。第1に理事者に図書館の真の姿を知ってもらうため、第2に住民に図書館の現状を報告するものとして、第3に館員全員が図書館の活動を知悉し行動するために、第4に図書館同志がその活動を比較し合い、自館の問題点を知るためにとしている。
 これらの意義を実際的な検討行動に移すに際して『日本の図書館〜統計と名簿〜』は極めて重要な資料となる。一定の人口規模によるグルーピングにより、類似自治体の図書館状況やインプットとアウトプットが比較でき、自館の相対的な評価に役立つからである。
 しかし、誠に残念なことに、図書館費については、正規職員の人件費が調査項目から除外されており、図書館費の総額が分からない。正規職員がどのような職種でどの程度配置されているかは、その自治体の図書館行政への政策優先度を知るうえで極めて重要である。また、図書館費の総額が、一般会計に対してどの程度の比率であるかということも、極めて重要である。
 私は現在準備中の図書館整備作業において、年間の維持管理費の妥当性評価をするため、類似団体における図書館費、うち資料購入費、蔵書冊数、延床面積、職員数(正規・非正規割合含む)と貸出冊数の相関関係を調査した。仔細に説明する紙幅はないが、概ね分かったことは、図書館費が相対的に高くても、延床面積が狭いと貸出が低いこと、延床面積や蔵書冊数が多くても、図書館費が低いと貸出が低いこと、諸条件が同じでも、職員の正規比率が低いと貸出が低いこと、また稀な例だが、正規職員数やその他の諸条件が類似しているにも関わらず、貸出冊数に大きな違いがあるという例もあった。
 こうした調査には、図書館費の総額が必要だが、『日本の図書館〜統計と名簿〜』では分からないため、当市の正規職員の平均給与(社会保険料等含む)を参考数値として、各図書館の正規職員数と掛け合わせて図書館費総額として試算してみた。
 新館オープンだけでなく、現在の図書館費の妥当性を評価したり、あるいはアウトプットとしての利用状況が他の自治体に比して低い場合には、当然インプットとしての歳出予算が他市との比較においてどうかという調査は必要である。また、歳出予算の削減要請という場面おいても、類似自治体との比較においてどの程度予算額であるかを示せれば、財政当局の判断も変わるかも知れない。
 自治体の決算書において、正規職員給与が「図書館費」として計上されているところと、場合によっては「教育総務費」のような款にまとめられていることもあり、『日本の図書館〜統計と名簿〜』では調査項目から外しているのかもしれない。ただ、その場合でも、当該課へ問い合わせれば、容易にその数値は把握できるのであり、ぜひとも調査項目とすべきである。
 とりわけ。指定管理者制度の導入により、人件費の費目取扱いも多様になってきている。フラットにインプットとアウトプットの評価を比較するためにも、図書館費の総額が分かるように検討をお願いしたい。それから「来館者」という数値も今後の図書館には重要な指標となるだろう。まだまだ来館者をカウントする装置がない図書館が多かったり、カウントの仕方がまちまちだったりと、検討すべきことは多々あるが、どれだけ多くの住民が図書館という公共空間に足を運んだかということも評価の対象として捉えたい。

4.『中小レポート』における図書館の「目的」及び「役割」と「機能」の理解度
 『中小レポート』やそれに続く『市民の図書館』が示してきた図書館政策に対して、まとまった批判を掲載したのは、津野海太郎の「市民図書館という理想のゆくえ」(『図書館雑誌』、1998年5月号)が最初であろう。貸出サービスを重視することが、「読まれない本は本ではない」という主張を産み出し、それは「いますぐ売れる本」だけを重視する本の商業主義を支える危険性を持ち、結果として本の文化の多様性を失うことになるのではないか、というのが津野批判の要諦である。
 その後、作家や文化人と言われる人々から、「無料貸本屋」という言説とともに貸出サービスへの批判が相次いだのは周知の通りである。『図書館界』が、2004年の9月号から5回に渡って連載した「誌上討論 現代社会において公立図書館の果たすべき役割は何か」は、「『市民の図書館』への歴史的評価」、「貸出中心のサービスへの考え方」、「資料購入のあり方」という3つの課題を前提に、現役司書や図書館研究者、利用者などからの論稿を寄せ、誌上での侃侃諤諤の議論がなされた。
 しかし、編集委員の山口源次郎が私見と断って指摘しているように、議論が「貸出サービス」論争に留まり、「現代社会」をどう捉え、それと公立図書館の関係、そこでの公立図書館での役割、サービスのあり方をどう考えるかといったことに議論が拡がらなかったことは残念であった。
 果たして、図書館の「目的」、そして「役割」と「機能」についての議論は、真正面から検討され多くの図書館関係者が共有できる共通理解として存在しているであろうか。
 『中小レポート』では図書館のあり方について、憲法における自由と平等の理念から、国民が等しく図書館サービスを受けられることを訴えたり、前述した「社会教育法」第3条を根拠に、平和で民主的な地域社会をつくるために貢献すれば、着実に図書館の自治体における地位は高まり、住民が図書館を支持するようになるだろうという指摘をしている。
 しかし、『中小レポート』がまとめられる時代状況としては、当面のあるべき図書館のための実践マニュアルを作り上げる事が最重要事項で、理念としての「目的」とその内実を自覚的に示す図書館の社会的な「役割」論や「機能」論は、語る段階になかったと私は見ている。
 その後の公共図書館論は、「憲法」、「教育基本法」、「社会教育法」、「図書館法」というものが自明視され、図書館の方法論だけが熱心に議論されてきたように思う。「図書館の自由」についての根源的な議論は確かになされてきた。しかし、「社会教育法」も指摘している「すべての国民があらゆる機会、あらゆる場所を利用して、自ら実際生活に即する文化的教養を高めうるような環境を醸成するよう努めなければならない」という、具体的な観点からの図書館目的論は、明らかに不足していたのではないかというのが私の見立てである。
 「これからの図書館像−地域を支える情報拠点をめざして−」(平成18年3月)という政策文書が文部科学省から出されたが、その主張の是非はともかく、これが現場で熱心に検討され、あるいは実践に結びつくトレンドが公共図書館を支配したというような影響力は残念ながらなかった。
 それはどうしてだったのか。政策を実行につなげるプロセスデザインが不足していたからなのか、あるいは、こうした政策を受け止め実践するだけの体力が公共図書館側に既に残っていなかったからなのか。次の時代の50年には、こうした議論が「理念」と「方法論」という両者への豊かな振幅の中で語られることが重要である。ちなみに竹内絜は、図書館の「目的」について、「個人の自立を支えること」と明確に示し、その「役割」と「機能」は、公共図書館学校図書館大学図書館などそれぞれに検討され自ずと異なるものであることを指摘している。

5.「21世紀版・中小レポート」はこうデザインする
 さて、それでは、これからの50年先の図書館政策のために、今、私たちは何をどう考えなくてはならないだろうか。ここでは私見を述べさせて頂く。

5−1 図書館経営におけるインプットとアウトプットの相関研究
 第3章で触れたが、インプットとしての図書館資源の投入の結果、アウトプットされる図書館利用の結果には、自ずと相関性がある。そのことを分かりやすくまとめた優れた仕事に山本哲生らがまとめた『グラフで見る日本の町村図書館』がある。『日本の図書館−名簿と統計−』をベースに、図書館の規模や蔵書、職員数や有資格者比率などの違いによって、図書館の利用がどのような影響を受けたかを分かりやすくグラフにまとめた力作である。新しく取り組む「21世紀版・中小レポート」では、ぜひこうした観点での施策評価の方法論を確立すべきである。
 『グラフで見る日本の町村図書館』の方法論に学び、勤務地の図書館経常経費の妥当性を探るために、類似団体の投入資源と出力されたサービス数値を調査をしていて興味深い事例に出会った。
図書館費、資料費、正規職員数、その他の職員数、延床面積や蔵書といった諸指標が大きくは変わらないにもかかわらず、貸出冊数に少なくない隔たりがあったのである。このような事例については、図書館運営についての人的側面が大きいと推測できるが、ヒアリングなど丁寧に調査によってその背景をぜひ分析したいものである。
 統計調査は、その結果に意気消沈したり安易に喜んだりするだけでなく、その結果を冷静に分析することが重要である。アウトプットの結果は、インプット、つまりサービス改善のヒントとなる。例えば、以下のような結果と改善の関係性が考えられる。

     アウトプット評価  →  インプットの改善
      貸出点数が減少  →  選書改善、資料費増額
      来館者数が減少  →  PR改善、空間改善、動機付け開発
    レファレンスが減少  →  案内職員増、参考資料増 
    集会行事参加が減少  →  行事内容とPR、開催場所の改善 

また、サービスの質的改善に結びつく契機としては、以下のような仮説と統計調査が考えられる。

   Q.選書と利用の不一致はないか 
→ 分類別貸出回転率(NDC3桁)
   Q.全域サービス出来ているか 
→ 地区別貸出統計
   Q.年齢、性別で利用ムラはないか 
→ 年齢別性別貸出統計
   Q.予約・リクエストの減少
→ 分類別予約処理統計と分類別蔵書統計をクロス集計。選書と予約の相関確認。

 こうした政策評価にまつわる観点や方法論についても、『21世紀版・中小レポート』では示しておきたい。さらには、優れた図書館活動をしている自治体では、どのようなサービスが、どのような組織的特性をもって実践されているのかや、組織の合意形成や人材育成といったマネジメントの要素についても調査、分析を行いたい。

5−2 図書館をとりまく人々の思想と活動
 『中小レポート』の時代と現在の図書館状況の大きな違いを述べるならば、図書館をとりまく関係者が極めて多様になった点である。
70年代後半から80年代にかけては、図書館設置要求運動を、地域家庭文庫を主宰する女性たちが中心となって展開していたが、現在では、図書館友の会に代表される住民の動き、あるいは図書館の委託経営に伴って関係付けられたコンサルタントNPOなどか、図書館のあり方について多様な発言や実践を展開している。それは、各種団体の研究大会や専門誌への寄稿を見ればよく分かることである。 
また、「図書館総合展」における図書館関連の議論が、多様な利害関係者を巻き込んでなされていることも忘れてはならない。基本的にビジネスショーであることから協賛企業が買い取る関連フォーラムも存在する。しかし、中には公共図書館の未来を展望する魅力的なフォーラムもあり、館種や職制を超えたスピーカーによる多彩なプログラムは極めて刺激的である。こうした図書館プロパーだけではない外部視点を取り入れた図書館の未来展望は、蛸壺的な思考と実践に陥りがちな専門職にとっては貴重な学びの機会である。
一方で、公共図書館に関する研究者の発言が極めて少ないことが気がかりである。指定管理者制度をめぐる図書館経営論への受動的な発言は目にするものの、これからの図書館について積極的な展望を示す研究者の論稿を目にすることは残念ながらほとんどないと言っていいだろう。
また、いわゆるマイクロライブラリーと言われる地域の小さな本の集積地を、地域の中に多数作って、多様な読書のあり方を地域社会で紡ごうとする住民主体の動きも目立ってきている。こうした資料の組織化を前提としない本の分散的拠点づくりを公共図書館の観点で議論すべきではないかもしれない。しかし、財政難により充実しない公共図書館を背景に、住民の自発的な図書館づくりをどう捉えるかについては無関心ではいられない。こうした動きが、自治体の図書館整備をより後退させる免罪符になりかねないという危惧も、一方では認めない訳にはいかないからである。
『21世紀版・中小レポート』では、こうした図書館をめぐる多様な属性の人々による図書館への言及や活動を紹介しながら、その意義と展望についても検討を試みたい。

5−3 図書館と地域住民
 『中小レポート』では、住民は公平、平等に資料提供を施すサービス対象として、またその結果として地域社会の発展に寄与する自治の担い手として描かれ、その成功が図書館支持へとつながるという政策形成論を展開していた。しかしそれは、期待通り十分に取り組まれた訳ではなかった。
 50年の歳月が流れ、地方自治を取り巻く状況は大きく様変わりした。しかし、それに対して自治体や住民の振る舞いが一斉に変わったかというと決してそうではない。地方分権の流れによって、自治体政策は様々な違いを生むことになった。自治体の裁量範囲が増したことから個性的な首長によって政策が大きく動いたり、声を上げ、行動する住民が増加したりしたことが要因として考えられる。
 例えば、図書館の指定管理者制度を積極的に推進する首長もあれば、指定管理者制度全般は否定しないものの図書館への運用には慎重な首長もいる。また、指定管理者制度の導入にほとんど関心を示さない住民がいるかと思えば、住民による反対運動でこれを白紙撤回させた事例もある。
 図書館の経営母体である自治体の変化、そして図書館に働く職員を取り巻く環境変化など、様々な要因があるが、図書館と住民の関係性や与件としてのパワーバランスは明らかに変化してきている。
 図書館は、お題目ばかりではなく、今や住民との「利用者」というつながりを超えた良好な関係性の構築なしには、その発展は覚束ないと言える。
 活発な活動を展開している自治体図書館では、住民がどのような役割を演じているのか、あるいは図書館プロパーがどのように住民との関係性を構築しているのかという問題も、これからの図書館経営には不可欠な視点である。
 サイレントマジョリティの動向も含め、住民がどう図書館を見て、何を求めているのかについて、図書館側からの積極的で分析的なアプローチがなければ、図書館は住民の多様なニーズに応えることは難しい。
そうした見方から言えば、アントネッラ・アンニョリの『知の広場〜図書館と自由〜』(みすず書房
から学ぶことは多い。アンニョリは、図書館が、住民からどのように思われているのかという印象や評価を正確に理解すること抜きに、図書館を住民にとって「自分の場所」と思わせるための変革を行うことは出来ない、と主張している。
 21世紀の図書館に求められるものを、これまでの図書館状況を検証する中で、地域住民が図書館をどのように見ているか、精緻に引き出していくことが重要である。

5−4 アウトカム評価からインプット改善を図る〜ナラティブな視点から〜
 「図書館法」の改正により第7条の3に、図書館の評価とそれに基づく運営の改善が努力義務とされたことから、図書館評価が注目されることになった。図書館に限らないが、教育文化施策は、いわゆる成果の評価が極めて難しい。投入資源であるインプットによって利用結果としてのアウトプットは貸出冊数や来館者といった数値で評価が出来るが、そうしたアウトカムが市民にどのような便益をもたらしたかを数値として測定することは極めて困難である。
 公共経済学には、あるサービスを得るために受益者が移動コストを幾らまでなら負担するかを測定するトラベルコスト法という便益調査があるが、これを統計学的に有意となるサンプル数分調査するには、それなりのコストが発生してしまう。こうしたことから、従来は「利用者満足度調査」としてアンケートを採取することが一般的に行なわれてきた。
 ところで、そもそも1人ひとり違う人格を持つ住民への図書館サービス成果を、計量化して分析するという思考が妥当なのかを検討する必要があるだろう。
 「図書館法」の理解では、運営を改善するために評価を行うのであるから、ここでの評価デザインは、住民にとってのアウトカム、即ち成果となる事象が導き出せる評価の視点が求められる。こうした多様に存在する図書館サービスの便益は、その人がどのような動機や状況で図書館を利用し、そのことによってその人の生活や思考にどのような変化が生じたのかという、いわゆるナラティブ(物語性)に基づく評価が求められるだろう。
 例えば、子どもにとって図書館利用が学びの動機付けとなりえるか、という政策目標について考えてみる。導き出したい成果は、子どもが主体的に学ぼうとする力を身に着けることだとすれば、図書館から働きかけるインプットは、学びへの好奇心の誘いである。そのためには、援助者が子どもの傍にいる事、また子どもが興味を持ちそうな資料が豊富にあることが求められる。これを「宿題カフェ」という図書館の放課後プログラムとしてデザインしてみる。その働きかけにより、子どもは単独で来館するよりも、より自己学習への習慣付けがなされ、副次的には異世代の援助者との交流による多様な気付きや学びも得られる。
 このように、様々な世代や状況にある住民の状況をセグメントし、そこに求められる課題を析出し、その課題を解決する施策としてインプットをデザインすることで、図書館サービスの成果を基調とした政策サイクルが構築されることになる。
 優れた図書館は、地域の住民のセグメントに基づく多様なアウトカムの類型を用意し、これを画一的ではなく1人ひとりの個人のナラティブにそってアプローチしていくサービスプログラムを持続的に提供できるのである。
 こうした図書館サービスのアウトカム評価というスタンスから、サービスをデザインしていく視点も、『21世紀版・中小レポート』では、サジェスチョンしてみたい。

  《アウトカム評価とインプットの関係事例》
 ①子どもの主体的な学びを誘発する
   引き出したいアウトカム → 自己学習の習慣付け
                 異世代交流による多様な学び
   インプット       → 「宿題カフェ」
                 援助者のコーディネート、資料提供

 ②地域活性化につながる住民の交流を創出する
   引き出したいアウトカム → 講演会参加者の交流が生まれる。
     継続的な学習会が生まれる。
   インプット   → 地域活性化をテーマとした講演会関連資料の特設コーナー

 ③高齢者の生き甲斐づくりに貢献したい
   引き出したいアウトカム → 異世代交流らより高齢者が快活に
                  様々なライフプランを知り、主体的に選択することで生き甲斐が増大。
   インプット  → 高齢者を話し手としておはなし会
             セカンドライフのためのブックリスト
  
5−5 個人の「学び」と図書館の役割
 近年図書館の役割は、単に本の貸出だけでなく、住民の交流や憩いに役立ち、地域を活性化するための情報拠点としての公共空間でなくてはならないという言説を耳にする。私自身、そのような主張を展開したことがある。
 しかし、武雄市図書館の登場とその評価を見るにつけ、そこに「学び」を通した個人の自立という図書館の目的が軽薄になっていることを指摘せざるを得ない。
 出来るだけ多くの住民が、その空間に足を運ぶことは望むところである。ただし、読書や情報の提供を通じて、学びが動機付けられたり、意外な気付きを得たり、想定していた知識を得たりといった、学習の成立が担保されて初めて、その来館は図書館という公共施設の「目的」と合致する。もちろん、そうした「機能」を求めなくとも、図書館に来館しても差し支えはない。しかし、だからと言って、「学び」を保障する資料や職員が、多数の来館者誘致のための資源に取って代わってしまっては図書館の「目的」が破壊されることになる。
 それは、「図書館」という衣を着せたアミューズメントパークでしかなくなってしまう。アミューズメントパークは、憩い、楽しみ、刺激的で心地よい時間を過ごさせることが「目的」の施設である。図書館にそうした側面が存在することは否定しない。しかし、図書館の一義的な「目的」は、少なくともわが国においては、「教育と文化の発展に寄与する」ことである。
 『21世紀版・中小レポート』では、今一度、公共図書館の「目的」に立ち返り、その実現を前提に、いかに多くの住民が「自分の居場所」と感じられるような存在となり得るか、様々な関係者を巻き込んで検討しなくてはならない。

5−6 中小都市のまちづくり論と図書館の役割、及びプレゼンス
 『中小レポート』は、当時の都市学の研究を拠りどころに、5万人から20万人を中小都市として政策対象に選んだ。現在、平成の大合併により基礎自治体の数は1740程度となっている。『中小レポート』が編纂された1963年当時よりも、対象となる自治体数は増加し、まさにわが国の図書館の趨勢は中小都市にあると言っていい。こうした観点から、地方自治行政の一政策である公立図書館は、まちづくりというアプローチと無関係ではいられない。
 政治経済がグローバル化し、人口減少がこれまでにないスピードで進むわが国において、これまで常識として捉えていた地方自治行政や地域社会のあり方は、予測の難しい変化が待ち受けている。
 こうした状況を冷静に認識し、個人として、また地域として、あるいは自治体として取り組めることを主体的に学んでいくことが、個人の幸福にとっても不可欠である。選択肢として、出来るだけ外発的な要素に影響を受けない、内発的発展に比重を置いたまちづくりを展開しようと、図書館を中心とした学びを展開している滋賀県東近江市のような事もある。
 図書館は、住民が自らの幸福とそれを条件付ける要素でもある地域社会や職業技術の向上に必要な情報を期待通りに提供しなくてはならない。そのためには、当該都市のまちづくり論への積極的な関与を試みることが必要である。
 個人の自立を支える図書館サービスは、その個人だけに注目しているだけでは、たちまち隘路に迷い込むことになる。忘れてはならないのは、私たち人間は社会的な生き物だということである。こうした観点から、『21世紀版・中小レポート』は、勇気をもってまちづくり論へのアプローチに挑戦しなくてはならない。

さいごに 社会の葛藤を引き受ける図書館
 有山粔は、「図書館はその背後にある社会から生まれ、社会によって規制される。従って図書館はいかに在るべきか、ということは社会の現実から決定されるべきである」と述べている。(『図書館雑誌』1966年1月号「社会と図書館−再読『図書館は何をするところか』−」)図書館の資料提供という課題も、こうした考えから敷衍すべきではないかと思う。
『21世紀版・中小レポート』は、図書館が社会の葛藤を引き受け、住民の精神的な拠りどころとなるよう、次の50年を見据えた政策文書として編纂されることを期待している。