事業仕分けと図書館

図書館も事業仕分けの対象とる事例を耳にする。
しかし、ここで触れるのはそのようなアプローチではなく、
仕分け作業をする「市民委員」への図書館サービスの話。
 実際に見聞していないので、しっかり取材をしてから
改めて整理したいが、どうも仕分けられる側の情報は
十分に委員には事前に届かず、仕分けたい方の情報が
十分すぎるほど届いている。当たり前だが。
 
 そうした受容情報、情報環境の非対称を意識して、
裁定に臨んでいる市民委員はどの程度いるのか、出口調査
でもして確かめてみたい。

 さて、これから、図書館がWebサービスで、「事業仕分け対象
事業の各種情報サービス」をHPで始めたらどのようなことに
なるだろうか?
上から目線で言えば、「賢い市民」のための学習支援という
ことになり、自治体政策における政策調整合理性から言えば、
背信行為となる情報発信にも成りえる→文化化されていない、
真に情報公開、住民自治、議会改革をしょうとしていない大多数の
自治体おいては、という意味。

 平成の大合併の時、「合併バラ色」の情報をまき散らしていた
協議会事務局(行政)とは裏腹に、図書館では大っぴらに、合併の問題点
を指摘した資料を特集していた。(自分の職場では…)

 これが、事業仕分けを巡って、Web上で展開されたなら、もっと
インパクトがあるだろう。どのような情報を収集、組織、編集
してフェアに見せていくかは、それこそ情報専門職であるはずの
図書館司書の力量だ。
 そのような観点から、これからの図書館司書は、政策学や政治学
行政学等について、それなりの知識と作法を身につけておかない
といけないのではないか、などと妄想する。

 本当に開かれた自治体経営、地域づくりなんて出来るのか?
それは、もしかしたら、「知る自由を保障する」といまだ意気込む
絶滅危惧種となりつつある、公共図書館司書の、自己変革と
パラダイムシフトに果敢に挑む心意気にかかっている。
 
 そのために、今、図書館を仕事としない、けれども「知識・情報・物語」
(丸山高弘氏のブログでの発言から触発された)
→ http://maru3.exblog.jp/11104368/
に熱い思いを持つ、多くのアクターと、手を結んでいくべきではないか。

白洲信哉さんの講演決定

開館10周年の記念事業の一貫して、かつて永源寺の六ケ畑を巡った
白洲正子の孫になる信哉さんに来ていただけることになった。
「かくれ里」の取材旅行にも同行した信哉さんから、白洲正子
どのような心持ちで永源寺を旅していたか、著された作品の裏側に
迫るお話が聞けることを楽しみにしている。

玉砕という美名

NHKスペシャル「玉砕〜隠された真実〜」を観た。
戦況不利を隠し通せず、究極の開き直りとして
大本営から発表された玉砕という欺瞞。
 報道統制、情報統制が権力によって強行された
時代の悲惨さ。

 Web時代の情報透明性は、どのように確保されるのか。
自律的で透明であるとされるweb世界は、抑制、検閲の
存在自体もオープンということになっているが、
オープン=「遮断情報なし」と判断するに足りる材料を
私は得る力量を持っていない。(誰ももち得ないか…)
 眼前で劣化もしていく物理的な存在としての印刷出版物
の、その表紙に明々と烙印された「不許可」という文字
が、妙に健全に見えてしまうのは、私がある種の倒錯に陥って
いるからだろう。

ICT技術が進んだ時代の図書館とコミュニティ

i-padの普及とその波に乗る「電子出版」などの中期的な展望を見るとき、
現在図書館司書と言われている職種の人たちには(って私もだけど)
ICT技術との関わりは避けて通れないですね。
 アウトソースしていくのか(アンコントローラブル&コスト)、組織内分業と
なるのか、それとも必須スキルとなっていくのか、まだよく見えていませんが、

「Code4Lib JAPAN」
http://d.hatena.ne.jp/josei002-10/

 という動きも出てきていて、妙な喩えになるが、サバ用のサビキ
の竿とアジ用の仕掛けの竿を二本操るような仕事をしなくてはならない
のかな、などと思う。全然喩えになってないか。

 そこで思うことは、物理的な空間としての図書館という施設機能
について、面白い展開があり得るのではないかと思う。むしろ、
ICTが公立図書館でそれなりにお役に立つようなレベルに至れば、
リアルなコミュニティをコーディネートしたり、ネットワークに
正当性や妥当性のオーダーがあった時に、公共図書館がガバナンスの
調整弁みたいな役割を果たせるかもしれない。いや、司書だけの
仕事ではないが、資料・情報に繋いでいく、あるいは既につながった
人々の地域活動の実際的なアクションを支援していく、ということも
新たな「公共空間」としての表象として見えてきはしまいか。
 
 また、こうした時代の「公教育」「情報政策」というキーワードは
どのようなアクターによって、運用と責任が担われるのだろうか。

 Webで、あらゆる情報が自律的な動きを見せ、ステークホルダー
インセンティブコントロールが、いわゆるフォーマルな政策主体のみ
にあるのではない状況が出てきた時、教育の公共性や、諸政策の
「情報統制」というようなパラダイムが変わってくるのではないか
、などと思うのは私だけではないだろう。
 まだ、十分整理できていないな。
日記だから、よしとしよう。

随分空いてしまいました

昨日はK学園大学の司書課程のレポート試験の採点をした。
出席日数、授業での様子、レポートと三つの評価ポイント
を合わせて採点するが、なかなか毎回悩ましい。

 このところ、毎週のように週休日に会議や検討委員会
のようなものに出席。休んだ気がしないですね。

 

ジェームス・テイラー&キャロル・キング、ライブ

嫁が、キャロル・キングジェームス・テイラーのライブDVD&CDを買って来てくれた。70年代を七歳から十七歳まで生きていた者にとって、七十年代は特別な時期てある

白洲正子生誕百年の年

「かくれ里」あるいは「近江山河抄」を読んだ滋賀人にとって、
白洲正子は特別な存在である。ワタシは大阪人だけれども。
 燦々とした衆目を集める美もいいけれど、民衆の普通の
暮らしの中で、その暮らしを守る祈りの中で脈々と受け継がれ
慕われてきたモノたちの中に、白洲正子は素朴で掛け替えのない
美しさを感じていた。
 こうした名もなき人々の営みの、愚直なまでの信仰心、あるいは
自然への畏怖に誘われる人々の慣習を、白洲正子は掛け値なしに
好いていた。
 白洲正子の孫にあたる信哉氏は、「かくれ里」の取材旅行に
動向している。
 その信哉さんを永源寺におよびして、白洲正子のみた永源寺
六ケ畑の営み、そして正子の美への探求心について語って頂く
予定である。

やあ〜やはりいいです。マリーナ。昨日のオーディエンスはおとなしくて、昨年ほどには盛り上がらなかった。